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日本とマラウイ
想いと経験 明日へとつなぐ。
日本マラウイ協会
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集え若者 造ろう未来!
青年海外協力隊 中心舞台に。
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広げよう人間の絆!
21世紀はアジアとアフリカの世紀。
草の根の1800名超え協力隊員と共に
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活かそう 流した汗を!
マラウイの希望と発展のために
1971年から50年の月日を超えて
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日本とマラウイ
想いと経験 明日へとつなぐ。
日本マラウイ協会
近況報告と交流の会

マラウイ近況報告と交流の会2023(終了)

10/21(土)、マラウイ近況報告と交流の会2023を開催します。近況については、JICA海外協力隊の隊員3名そして日本マラウイ学生団体(筑波大学)の1名、そして清泉女子大学の2名の方々にご報告いただき、後半のセッションでは、QAならびに参加者によるフリーディスカッションを予定しいます。皆さまの積極的なご参加をお待ちしております。


大水害

サイクロン「フレディ」による大水害・大使館義援金専用口座

3月12日、サイクロン「フレディ」がマラウイに上陸しました。「フレディ」は観測史上最も長い期間続いたサイクロンで、2月に発生してから2度アフリカ大陸に上陸しました。その2回目の上陸はマラウイに、これまでにない大きな被害をもたらしました。3月24日時点で確認された死者は511名、行方不明者533名、避難した人は56万人に上り、南部の14県が被災しました。高地にあり、通常は洪水被害に遭うことがないブランタイヤで土砂崩れが発生したことも、被害を大きくした要因でした。チャクウェラ大統領は国家災害宣言を発するとともに、3月16日から2週間を「喪に服する期間」に定めました。災害発生直後からマラウイ政府による懸命な救命・救援活動が行われ、近隣国を含む国際的な支援も始まっています。日本も、JICAの緊急物資供与によりテント、プラスチックシートなどの支援を行いました。
この災害の影響は、家屋の流出、教育の停止などの被害に加え、農業生産など広範にわたっています。被災者が1日も早く日常をとり戻すことを願うばかりです。それとともに、毎年のように洪水等の被害に遭うマラウイが、「災害に強い社会」を作っていく必要性を改めて感じさせられました。

駐日マラウイ大使館への義援金専用口座をお知らせいただきました。

銀行名: 三井住友銀行
支店名: 五反田支店(653)
預金区分:当座
口座番号:2738800
口座名義:MALAWI EMBASSY

直接、大使館口座へ緊急援助として振り込まれる方は上記へお願いいたします。


ラジオ放送

全国版FMラジオでマラウイ、当会が紹介されました。

「いま」起きていることを見つけよう ―FMラジオ番組「On The Planet」
当会理事の草苅康子さんが番組で電話インタビューを受け、マラウイの国情、マラウイ協会の活動などについてお話しし、全国に放送されました。
· 聞き手:浦朋恵(うらともえ)
· 2021/1/15 2:30頃約11分


 

人類誕生の地「アフリカ大地溝帯」の南

日本に一番近いアフリカ、マラウイ。

マラウイは、世界に派遣された青年海外協力隊の隊員数が最も多い国です。これまで、1800名を超える若者たちがこの地を訪れ、一緒に汗をかき、国造りに携わってきました。分野は、土木、自動車整備、医療、教育と多岐にわたります。当会は、青年海外協力隊としてマラウイへ派遣された隊員OVが中心となって設立した団体です。

 

日本マラウイ協会からのお知らせ

ニュース

 

 

青年海外協力隊・シニアボランティア派遣状況
最初の派遣
1971年(隊員数7名)
総隊員数
1,852名(女性803名)
2022.3.31現在

マラウイ共和国

Republic of Malawi: The Warm Heart of Africa
概要・地理

アフリカ大陸・大地溝帯の南部、タンザニア、ザンビア、モザンビークの3か国に囲まれた内陸国(面積は日本の3分の1)で、マラウイ湖に面した美しい国です。

正式名称
マラウイ共和国(Republic of Malawi、旧英国領ニヤサランドNyasaland)
愛称
The Warm Heart of Africa
国旗
国歌
 「おお、神よ、マラウイに祝福を」
(チェワ語:Mulungu dalitsa Malawi/英語:God Bless Malawi) 国歌音源ダウンロード
人口
約 1,636万人(2013年 世界銀行)。人口密度は、陸地1平方キロメートル 当たり約173人。
面積
約118,484平方キロメートル(陸地:94,276平方キロメートル、湖:24,208平方キロメートル、日本の約1/3:ほぼ、北海道と九州を合わせた面積に等しい)。うち、マラウイ湖が 1/5(瀬戸内海に匹敵する)程を占める。
民族
バンツー(Bantu)系アフリカ人がほとんど。チェワ(Chewa)、ロンウェ(Lomwe)、ンゴニ(Ngoni)、トゥンブカ(Tumbuka)、コンデ(Nkhonde)、トンガ(Tonga)、ヤオ(Yao)、セナ(Sena)が主要な民族。
地形
アフリカ大陸の赤道より南に位置し、タンザニア、ザンビア、モザンビークの3国に囲まれる南北に細長い内陸国。
時差
日本より-7時間
気候
熱帯サバンナ気候に属する。降水量が比較的に多く、緑豊かである。一般にアフリカと言うと厳しい暑さや高い湿度といった過酷な気象条件がイメージされるが、マラウイのほとんどは標高 1,000m前後にあり、雨(夏)季:11~3月頃で20~30℃、乾(冬)季:5~8月頃で10~20℃で湿度も 低くしのぎやすい。ただし、国土全体では標高が36~3,048mにも及んでいるので、低地部と山間部では気候は著しく異なる。
国立公園
マラウイ湖国立公園(世界遺産登録/1番目)、ニイカ国立公園(2番目)、カスング国立公園、リウォンデ国立公園、レングウェ国立公園。
周辺地図
政治・経済・社会

1964年に英国から独立した立憲制の共和国。首都は中部のリロングウェ。現在の大統領はピーター・ムタリカ氏。

都市
中部のリロングウェ市(Lilongwe City、 人口約43.6万人)が首都。商工業の中心地は南部のブランタイア市(Blantyre City) 。この他、北部にはムズズ市(Mzuzu City)が、南部には旧首都ゾンバ行政区(Zomba Municipality)がある。なお、マラウイは大きくは、北部(Northern Region)、中部(Central Region)、南部(Southern Region)の3つに、細かくは24の州 (District、北部:5、中部:9、南部:10州) に区分され治められている。
政治
政体は、大統領を元首とする共和制(1966年7月6日共和国となる)、一院制。 1993年6月までは終身大統領バンダ(Kamuzu Banda)氏が率いる議会党のみの一党制であったが、終身大統領制は廃止され、複数政党制となった。また、1964年7月6日の独立以来政権のトップの 座にあったバンダ氏は、1994年5月マラウイ初の大統領選挙の結果、この座を退り、ムルジ (Bakili Muluzi)氏 が新大統領(任期5年)となった。また、1999年6月の第2回大統領選挙でムルジ氏 が再選された。2004年5月、第3回大統領選挙が行われ、ビング・ワ・ムタリカ氏が当選した。2009年5月、第4回大統領選挙が行われ、ビング・ワ・ ムタリカ氏が再選された。2012年4月にムタリカ大統領が病死し、憲法の規定によりジョイス・バンダ副大統領が大統領に就任した。2014年5月、第5回大統領選挙が行われ、ピーター・ムタリカ氏が当選した。
経済
農業が主産業でタバコ、紅茶、コーヒー、綿、砂糖が主な輸出品。近隣国のような鉱物資源の産出はない。
言語
英語が公用語、チェワ語(Chichewa)が国語となっている。その他に、地 域によって、トンガ、ヤオ、トゥンブカ語などの部族語も使われている。旧英国領であることもあり、都市部、主要町村ではだいたい英語が通じる。
宗教
キリスト教 75%、イスラム教 20%、伝統的宗教 5%。
通貨
1クワチャ(Kwacha)= 100タンバラ(Tambala)= 約0.25円 (2014年7月現在)。1米ドル = 約386 クワチャ (2014年7月現在)。
国民1人当たりのGNP
270米ドル(2013年:世界銀行)。
食べ物
主食はトウモロコシの粉をお湯で練って餅状にした「シマ」。副食は野菜、豆類、小魚などを煮たものが多い。
飲み物
アルコール類では「チブク」と呼ばれるトウモロコシの発酵酒がある。普通のビール、コーラ、ファンタもある。
スポーツ
最も人気のあるのはサッカー。ネットボール、バレーボール、テニスも人気がある。旅行者向けとしてはゴルフ、ウォータースポーツ等がある。
マスコミ
ラジオ・テレビ:マラウイ放送協会(MBC)、新聞:Nation、Daily Timesなど多数。
歴史

紀元前8000年頃
少なくとも、この頃から現マラウイの地に前バンツー系の狩猟民族が住んでいたとされる。
紀元4世紀
バンツー系アフリカ人が大陸東海岸に到着する。
8世紀
アラブの貿易船が大陸東海岸に到着する。
9世紀
バンツー系アフリカ人がザンベジ川を横断する。
1150年
アラブ奴隷商人がザンベジ水路を発見する。
1300年頃
バンツー系アフリカ人がマラウイ湖へ到着し、同バンツー系民族が16世紀頃までにマラヴィ(Malavi:炎) と呼ばれる国を築く。
1505年
ポルトガル人が到着し、ポルトガルとの交易が始まる。
1859年
英国探険家・リビングストンがマラウイ湖へ到着する。
1863年
アラブ奴隷商人がマラウイ湖へ到着し、マラヴィで奴隷が売買されるようになる。
1891年
英国の保護領となる。
1893年
英国・中央アフリカ保護領と改名される。
1917年
ニヤサランド・英国保護領と改名される。
1953年
ローデシア・ニヤサランド連邦となる。
1963年
同連邦解体され、初代ニヤサランド首相にバンダ氏が就任する。
1964年7月6日
国会議員総選挙の結果、バンダ首相率いるマラウイ議会党が全議席を獲得し、マラウイ共和国として独立する。
1966年7月6日
共和制に移行し、バンダ氏が大統領に就任する。
1967年
南アフリカ共和国と外交関係を樹立する。
1971年7月
バンダ氏が終身大統領に就任する。
1971年8月
日本から青年海外協力隊の派遣が開始される。
1992年2月6日
駐日マラウイ大使館が東京に開設される。
1993年6月14日
国民投票の結果、複数政党への移行が決定される。
1993年11月17日
国会で終身大統領制の廃止が決議される。
1994年5月17日
複数政党制下での初の国会議員総選挙および大統領選挙が行われ、統一民主戦線党首のムルジ氏が新大統領となる。
1999年6月15日
複数政党制下での2回目の国会議員総選挙および大統領選挙が行われ、ムルジ氏が大統領として再選される。
2004年5月20日
複数政党制下での3回目の国会議員総選挙および大統領選挙が行われ、ビング・ワ・ムタリカ氏が大統領として選ばれる。
2009年5月19日
複数政党制下での4回目の国会議員総選挙および大統領選挙が行われ、ビング・ワ・ムタリカ氏が大統領として再選される。
2012年4月5日
ビング・ワ・ムタリカ大統領が心臓発作のため執務中に死亡
2012年4月7日
憲法の規定により、ジョイス・バンダ・副大統領が大統領に就任
2014年5月30日
5回目の大統領選挙で、ピーター・ムタリカ氏が当選する。

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